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岡村靖幸“幸福”ジャケ絵の違和感について考えてみた

 

幸福

幸福

 

今更この話題を取り上げるのは遅きに失した感がありますが…。

岡村靖幸ニューアルバム「幸福」のジャケット(会田誠)に描かれたノスタルジーと悪意 - Togetterまとめ

岡村靖幸の新作のジャケットは許されるのか

ご多分に漏れず、このジャケット絵にはかなり衝撃を受けました。私がこのジャケットを初めて見た時の印象は「うわっ!これロリコンじゃん!しかも、親子の風景を一見装っているところが恐ろしい」です(この時点では、誰が描いたものなのかは知りませんでした)。少なくとも、ここ数年間で見たジャケ、いや、ここ数年で見た絵の中で一番挑発的だと感じました。

親子の何気ない日常=幸福を描いている「はず」なのに、嫌悪感すら抱いてしまうほど違和感を覚える。なぜそう感じるのか、考えてみました。ちなみに、まだこの作品自体は聴いていないです。すみません。

 

1.構図

裸の子供が描かれていること以上に、そもそも刺激的な構図ですよね。男性の両足の間に挟まる形で子供が座っている。つまり、子供が裸で男性器と対峙している訳です。そして、男性の左脚に子供の腕が回されていることが、子供と男性が親しい関係であることを示しています。まあ、これだけでは「親子でお風呂に入っている(だけ)の光景なのだな」と解釈できますが。

また、この絵はこの男性の視点から描かれたものです。絵を見る人は、男性の視点に立ってこの子供を見ます。「子供が笑顔でゆずを差し出している」その相手が、自分であると(無意識に)解釈します。自分が、子供との間に愛着の関係にあるという感覚が生まれるのです。それは、親子等の血縁関係であるとも言えるし、恋愛の関係であるとも言うことが可能です。

加えて気になったのが、ゆずを差し出している子供の右腕が、その胴体とのバランスを考えると長く見えること。遠近法を考慮しても、少し長く見える。腕の長さは、身体の成熟のイメージと結びつくのではないでしょうか。

 

2.きれいに剥かれたゆずの皮

ゆずの皮って、大人の手でも剥きにくくないですか?みかんなどに比べて分厚いですし。この絵では、ゆずがきれいに剥かれてますよね。しかも、ご丁寧にその皮も描かれている。子供が差し出していることで、多くの人間は「このゆずは子供が剥いたもの」と解釈します。

この子供の年齢は6~10歳ぐらいと推定しますが、その年齢の子供がゆずの皮を剥こうとしたら、こんなにきれいに剥かないですよ。ゆずの底の部分に指をつっこむぐらいが関の山じゃないでしょうか。裸で柑橘をきれいに剥くという行為に、ここでも成熟さ、そして性的な行為を想起されてしまうと思うのです。

 

3.朝~昼という時間帯

ゆずをお風呂に入れる冬至。だいたいの家庭では、冬至の日には夜にお風呂に入るのだと思うんですが、これは私の勝手なイメージでしょうか。一日を通して冷えた身体を暖めるという。

それはともかく、描かれている時間帯が夜ではなく朝~昼ということに、淫靡な想像を掻き立てられてしまいました。この時間帯を描くことで、清冽さを演出しようとしたという意図は感じられるにもかかわらず。端的に言うと、「事後」のイメージを抱いてしまったのです。

 

 

以上の点が原因で、この絵は子供の年齢に似つかわしくない成熟さ、そして性的な行為を想像させるのだと思います。しかも見る側は、この子供と自分が関係しているのだという感覚を抱いてしまう。

で、後にこの絵を描いたのが会田誠と知り、あぁ~じゃあそりゃそうですねと納得してしまいました。正直、同時に少し落胆もしました。きっと、かなり戦略を練った上でこのような絵を描いただろうから。別に彼を嫌っているのではなく、術中にまんまとハマってしまったな~というがっかり感です。