【後編】アヒト(VOLA & THE ORIENTAL MACHINE)問題は日本に生きる人全員の問題

前編はこちら。

ieyaeabcb.hatenablog.com

 

 バンドとしての責任

 

https://twitter.com/ahitoinazawa/status/1098571568156819456

アヒトさんの弁明に関する問題点については、前編でも紹介したブログ記事(下記参照)で指摘されている通りだと思います。差別的な表現として受け入れられる言葉を遣ったことに関して、何も説明がないことが一番の問題に感じます。反論するならすればいいと思うんです。当時と考えが変わっているのかそうでないのか、伝えることもできたはずです。表現が稚拙とか、そんなことはどうだっていい。差別的と捉えられる言葉を遣ったことは確かなんだから。きちんとその言葉を遣った意図も示せばいい。そうした明確なスタンスの提示もないまま、ありきたりな謝罪と弁明に終わってしまっている。

アヒトの声明文に泣いた夜の話 | 非実在性芸音科学。

この声明文が発表された直後、VOLA&THE ORIENTAL MACHINEの他のメンバーが次のようなツイートをしていました。

 

https://twitter.com/daikinakahata/status/1098624618389069829

https://twitter.com/arientalmachine/status/1098727807637630977

タイミングとして、アヒトさんの声明文を受けたコメントと見ていいと思います。VOLAのファンや音楽リスナーを安心させたい、またバンドの誇りは失わないという意思表示に取れます。あるいはtwitterを辞めたアヒトさんへのエールなのかもしれません。どの方面にも角の立たない言い方の。しかし、私の印象は「彼らは楽曲が批判を浴びたバンドとして、果たしてその問いに対峙しているんだろうか?」というものでした。

槍玉に上がった"Flag"はアヒトさん個人の曲ではありません。VOLA&THE ORIENTAL MACHINE としての曲です。楽曲を作り、レコーディングして商品化する過程の間で、バンド内のコンセンサスを形成する機会はあるわけです。詞を書いたのはアヒトさんだとしても、曲を発表したのはVOLAです。蔡さんがナンバガ再結成に伴い個人名を出したからバンドではなくアヒトさん個人に話題が集中してしまったけど、本来はアヒトさん一人だけが説明・対応をする必要はない。

また現在、バンド公式からも何もコメントがありません。twitterアカウントやウェブサイトを見ても、この件にはまったく触れず新譜のプロモーションをしています。

"Flag"を発表した当時は、バンドはメジャーレコード会社のユニバーサル所属でしたが、現在は契約状態にないため(今度の新譜はactwiseというインディーレーベルから発表される模様)、当時のレコード会社も何かしらの声明を出す義務はないのでしょう。大きな組織の後ろ盾を失ってから批判に晒された彼らの苦悶も想像できるのですが、それを差し引いても、一言で言って「バンドとして表立って本質と向き合わずうやむやにしている」と感じてしまいました。

邪推ですが、バンドとしてこれから新譜を出すというタイミングだから、できるだけ火消ししたいという意思もあるのかもしれません。そうであってもなくても、一連の姿勢は自分にとってすごくさみしく、悲しいものでした。バンドとして出した曲って、そんなものなんでしょうか。別に右翼でもなんでもいいから、「当時は歌詞を重く受け止めてませんでした」と言っても構わないから、「自分たちは音楽を責任を持って作り、演奏する」という姿勢を示してほしかった。彼らにとって、自分たちの曲は本質に触れずに逃げられる程度のものだったんでしょうか。個人個人が心のうちでどう考えてるかは別問題です。心底悔やんでいるメンバーもいるかもしれませんが、気持ちは言葉にしないと伝わりません。もし「音楽で伝える」ことを選んでいるとしても、言葉で直接伝えるよりファジーなものになるだろうし、伝わる範囲も狭いものでしょう。

芸能人の発言が炎上するのとはまた違います。謝って火消しできる、SNSの発言なんかと一緒なんでしょうか、音楽って。リスナーの幻想と言わればそれまでですが、なんだか音楽を聴いてる自分たちを軽んじられてるようで悲しかった。

私はVOLAに関してはライトなリスナーです。ライブを観に行ったこともあります(一度だけですが)。その程度の人間がそこまで首突っ込むのかと言われるかもしれませんが、少なくともバンドメンバーの音楽に対する姿勢に対してはそれなりに厚い信頼を寄せていました(VOLAのメンバーが所属しているナンバーガールsyrup16gも、自分にとってすごくすごく大切な存在です)。だからこそさみしかった。

私たちはどうやってこの問題を捉えるべきか

今、日本という国は諸外国との関係において歴史的にも大きな変化を迎えていると言ってもよいでしょう。外国人労働者受け入れ拡大が決定されましたが、すでに日常で日本国籍以外の人々と接する機会は飛躍的に増えています(地域にもよるでしょうが)。ヨーロッパやアメリカのニュースで語られる「排外主義」は対岸の火事でもなんでもない。こうした状況の日本において、今回の問題は大きな意味を持つと思っています。だからこそ、単なる「ミュージシャンとそのファン同士のネット上の諍い」と片付けてはいけないと思うんです。

日本の音楽界においても、蔡さんのような外国にルーツを持つミュージシャンは昔から活動しています。今後日本で、日本とは異なる国籍を持つリスナー、ミュージシャンはますます増えていくでしょう。その状況下で何を音楽で伝えるべきなのか、ミュージシャンが問われる機会も増えていくであろうと思います。

日常と社会と音楽は基本的に切り離せません。意識して切り離している作り手・聴き手はいますが、その営みも逆説的な社会との関わりとも言えるでしょう。今回の問題を受けて、一人一人が日本と外国、その中のコミュニケ―ションについて振り返らなければ、ただあらゆる人が傷ついただけで終わってしまう。ネットゴシップとして消費していい話じゃない。

日本の音楽ジャーナリズムに求めたいこと

本当はただの素人にすぎない自分が書くより、生業としていることで文章力が担保されている音楽ライターの方にこういう原稿を書いてほしかったです。でも、現時点ではその様子が見えないので自分で書いてしまいました。

そもそも自分が見る限り、twitter上ではこの問題に触れている音楽ライター・ジャーナリストの方は数名しか見受けられませんでした。見逃してるだけかもしれませんが。きっと業界も狭いので気を遣うことが多く(ナンバーガールVOLAbonobosの各メンバーとまったく面識のない人の方が少ないと思います)、政治的な話も触れにくいのは分かります。でも、アメリカの政治と音楽の関係については語られるのに、日本国内の問題には触れられないなんて、やっぱり違和感が残ります。まだ世に出ていないだけで、いつかこの問題を扱った原稿がメディアに掲載されることを期待しています。