【前編】アヒト(VOLA & THE ORIENTAL MACHINE)問題は日本に生きる人全員の問題
気が重くて重くて少し泣きそうになってるんですが、これはこのまま風化させてはいけないことだと思うので書きます。
日本で音楽をやる人、聴く人、日本で生きる人が皆考えなくてはいけない問題だと思うからです。
自分なりに、
・何が問題なのか
・バンドの在り方に感じたこと
・この問題をどう捉えるべきなのか
をまとめました。
先日、ナンバーガールの再結成が発表された後、bonobosのフロントマン蔡忠浩さんのツイートが物議を醸しました。
https://twitter.com/bonobos_sai/status/1096442632773881858
詳しい過程はこちらのブログ記事にまとめられていますのでご参照ください。
bonobosを知らない方に向けて念のため付け加えておくと、蔡さんは在日コリアンです。
根本的な問題は何か
当事者以外の人間にとって状況がややこしいと感じるのは、蔡さんが何をもってアヒトさんを「レイシスト」と呼んでいるのかが明確でないということです。あえて明言していないのかもしれません。もしかしたら本人同士のコミュニケーションを通して蔡さんの中でアヒトさんへの印象が形づけられたのかもしれないし、楽曲からの判断だったのかもしれない。しかしそれが当事者から明言されてない以上、外野は憶測するしかありません。
ただ、このツイートが波紋を呼び、アヒトさんがフロントマンを務める、VOLA&THE ORIENTAL MACHINEの2010年の"Flag"という楽曲の歌詞が主にtwitterで批判の対象になったことは事実です。
VOLA & THE ORIENTAL MACHINE / Flag - YouTube
歌詞 http://j-lyric.net/artist/a04e52c/l022854.html
上で紹介したブログ記事にある通り、歌詞中に「特Aに媚び売る」というフレーズがあります。日本の左派を批判する歌詞の文脈の中で「特A」は「特亜」、すなわち「特定アジア」を指すと判断して問題ないでしょう。
韓国・中国・北朝鮮を反日国家とみなして揶揄する言葉には違いないはずです。
「9年前の曲だから」「アヒトさんと話しててレイシストとは感じないから」問題にする必要はないのか
蔡さんのツイート、またアヒトさんへの批判に対して「9年前の楽曲に今更ケチつけるのはおかしい」、アヒトさんの知人と見られる人から「本人と接していてレイシストと感じたことはない」という擁護の声も寄せられていました。
まず「9年前の楽曲にケチつけるのはおかしい」という意見ですが、楽曲というものは発表されてから後世へ残るものです。かつてのスタンスを明確に否定していない以上、何年経とうがそのスタンスは維持されていると見られて当然だと思います。
よく、文学作品でも本の巻末に「作中で現代では差別用語とされる言葉が使用されていますが、差別的な意図はないと判断し、当時の時代背景を尊重し初版当時の原稿を掲載しています」というような内容の文が掲載されています。もし、特定のスタンスを明確に否定したいのであれば、そうした“注釈”が必要だと考えています。発表から9年に至るまでこのようなステートメントがなければ、当時からのスタンスは現在も維持していると見なされるものでしょう。
また、アヒトさん本人の人柄と作品での表現は切り離して考えるべきです。アヒトさんの普段の人柄が何であれ、作品で「特A」という差別的なニュアンスをもたらす言葉を遣ったことは事実です。そもそも人間は多面的なので「この人が〇〇するわけない」といった期待(もしくは期待しない気持ち)は常に裏切られているのは歴史が証明しているのですが、まあこれは余談ですね。
また同時に、この問題ひとつで本人の人間性すべてを否定することもあってはならないのです。ただ「特A」という言葉を政治的批判の文脈で遣ったことで「特定の国の人に対して侮蔑的な感情を持っているんだな」という印象は与えることは免れないでしょう。「レイシスト」とは強い言葉ですが、「特A」はそう受け取られる覚悟なく発していい言葉ではないと思います(あっても発していい言葉とも思いませんが)。楽曲で最も主張したいことが、「外国人を侮蔑すること」ではなく当時の日本の政権・左派批判だったとしても。
個人的には、もっと話題になっていい歌詞だと以前から感じてたし、twitterでもリアルでもそんな話はしていました。いわゆる「ネトウヨ」的な語彙を歌詞に散りばめ、「KY rU rU Flag!」とまで叫んでいる曲は、もっとメジャーなアーティストだったらとっくに話題になっていたでしょう。それが今広く知られるようになったのは、単純にこの曲の認知度が低かったんだと実感した次第です。
ただ、私は「特A」という特定の国を指したスラングより全体的な「ネトウヨ」的世界観に違和感を持っていたので、そこに強く反応していなかった自分も、こうしたタイムラグを作り出してしまったのだなと思います。自分の国際問題へのリテラシーの低さも再認識しました。
長いので後編に続きます。